はじめに(結論)
結論から言います。僕はAIと一緒に文章を書くことに、後ろめたさを一切感じていません。それどころか、これで収益化できたなら、全国のADHD気質の同志はみんな真似した方がいいとすら思っています。
先日、1週間ブログを放置して戻ってきた話を書きましたが、そのとき「友達に自慢しようとしてサイトを開いた」と書きました。今日はその裏側、なぜ僕が「AIと書くこと」を人に自慢したくなるほど面白いと思っているのか、を掘り下げます。
| この記事で書くこと | ひとことで言うと |
|---|---|
| 友達に見せた結果 | AIっぽさがないと驚かれ、仕事に使うと言われた |
| 何がラクなのか | 感情を喋るだけで記事になる |
| 後ろめたさはあるか | 全くない |
| 同志に勧めたい理由 | 僕らの弱点を、まるごと回避できるから |
友達に見せたら「仕事に使う」と言われた
先日、友達にこのブログを見せました。「AIと一緒に書いてるんだ」と。
正直、半分は自慢でした。どこか「すごいだろ」という気持ちで画面を見せたんです。
返ってきた反応は、予想以上でした。彼は文章を読んで、「AIっぽさが全然ない、自然な文章だね」と驚いていたんです。そして一言、「これは自分の仕事にも大いに役立てられる」と。
ここが、僕にとって地味に効いたポイントでした。
世間ではよく「AIが書いた文章は機械的で、読めばわかる」と言われます。たしかに、何も考えずに「〇〇について記事を書いて」と丸投げすれば、それっぽいけど血の通っていない文章が出てきます。でも僕のやり方はそうじゃない。だから、AIを普段から疑ってかかっている人が読んでも「自然」と感じたし、自分の仕事に転用したいとまで言わせた。
| 一般的なAI文章のイメージ | 実際に見せたときの反応 |
|---|---|
| 機械的でわかる | AIっぽさが全然ない |
| 中身が薄い | 自分の仕事に役立てられる |
| 読む気がしない | 普通に読み進めていた |
このギャップは、僕のやり方の核心と関係しています。次でそれを書きます。
感情を喋るだけで、記事になる
僕がやっていることは、すごくシンプルです。
書くんじゃなくて、喋っているんです。
もっと正確に言うと、「素材を喋る」だけ。さらに言えば、感情を喋るだけで、それが記事の形になって返ってくる。
たとえば前回の記事。僕がやったのは「1週間放置してた」「友達に見せようとして偶然開いた」「数字を見たけど感情は無だった」——こういう、出来事と、そのとき自分がどう感じたかを、ただ喋っただけです。構成も、見出しも、言い回しも、僕は一文字も最初に書いていません。
これがADHD気質の僕にとって、どれだけラクか。
ひとりで文章を書こうとすると、僕は最初の一行で詰まります。何を書くか頭の中にあるのに、それを「書き出しとして適切な形」に整える段階で、注意がそれて、結局1時間スマホを触って終わる。これを何度繰り返してきたかわかりません。
でも、喋るだけなら詰まらない。感情はいつも頭の中にあるから。それを吐き出すと、整った文章になって戻ってくる。ゼロから1を書く苦しみが、まるごと消えるんです。
僕にとって文章作成のボトルネックは「書く」ことではなく「書き始める」ことだった。喋るだけでいいなら、そのボトルネックは存在しない。
「ラクしてる」という後ろめたさは、全くない
ここで多くの人が引っかかるのが、「それって、自分で書いたと言っていいの?」という問いだと思います。AIに書かせてラクをしている、という後ろめたさ。
僕には、それが全くありません。
理由ははっきりしています。素材は全部、僕の中にしかないものだからです。
このブログに書かれている出来事、感情、考え方は、すべて僕が実際に体験して、実際に感じたことです。AIはそれをひとつも作り出せない。僕が1週間放置したことも、数字を見て無になったことも、友達に自慢したことも、AIは知らない。僕が喋って初めて、文章の素材になる。
つまり役割分担はこうです。
| 担当 | やること |
|---|---|
| 僕 | 体験する・感じる・喋る(素材の提供) |
| AI | それを整える・形にする(整文) |
料理にたとえるなら、僕が畑で野菜を育てて収穫し、AIが調理する。素材を育てていない人は、そもそも何も作れない。だから、これは「ラク」ではあっても「ズル」ではないと、僕は胸を張って言えます。
むしろ、自分の感情や体験という一番の財産を、ちゃんと形にして外に出せている。そのことに、後ろめたさより誇りの方が近いです。
だから、同志はみんな真似した方がいい
ここまで書いてきて、改めて思うんです。
この方法、ADHD気質の同志はみんな真似した方がいい。
僕らの多くは、頭の中に面白い考えや強い感情を持っているのに、それを「整った文章として外に出す」工程で力尽きます。書き始められない、最後まで集中が続かない、推敲が苦痛。アウトプットの中身じゃなくて、アウトプットの「作業」で詰まる。
でも、喋るだけでよければ、その詰まりポイントを全部スキップできる。僕らの弱点が、まるごと回避されるんです。これは大げさじゃなく、気質との相性が良すぎる組み合わせだと思っています。
もし僕がこのブログで本当に収益化までたどり着けたら、それは「ADHD気質でも、自分の体験を喋るだけで価値を生み出せる」という、ひとつの実証になります。だから僕は、このやり方を隠さず全部書いていくつもりです。真似されて困ることなんて、何ひとつないので。
まとめ
今日伝えたかったことを、箇条書きで残します。
- 友達に見せたら「AIっぽさがない」「仕事に役立てる」と言われた
- 僕がやっているのは「書く」ではなく「感情を喋る」だけ
- ゼロから書き始める苦しみが消えるのが、最大のラクさ
- 素材は全部自分の体験。だから「ズル」ではなく後ろめたさは全くない
- 僕らの弱点を回避できる組み合わせだから、同志は真似した方がいい
同志に伝えたいこと
もしあなたが、「言いたいことはあるのに、文章にしようとすると詰まる」タイプなら——それはあなたの考えに価値がないからじゃなくて、「書く作業」と相性が悪いだけです。
考えと感情は、あなたの中にちゃんとある。それを喋るだけで形になる方法が、今はもうある。
ラクをすることに、後ろめたさを感じる必要はありません。僕らはただ、自分に合った道具を使っているだけです。
それでは、また次の記事で。
ADHD MAN


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